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    忘れられない試合(日本代表)
サッカーマガジン1985-6月号
サッカーマガジン1985-6月号

 誰にでも、忘れることのできない試合というのがありますね。昔の代表の試合であげればメキシコ・オリンピック予選の欄で言及した日韓戦('67 10/7国立3-3)、メキシコの青い空が一瞬みえた86年ワールドカップ予選の韓国戦(‘85 10/26国立 1-2)、ソウルオリンピック予選の勝てば突破という中国戦('87 10/26国立 0−2)といくつもありますが、ここに挙げる試合は不思議な経験をしたという点で忘れられない試合です。
 1985年、森監督に率いられた日本代表は86年のメキシコ・ワールドカップ(もともとはコロンビアで開催予定だったが、返上によりメキシコでの代替開催となった)の一次予選突破を目指し、まず2月23日にアウェーでシンガポールに3−1で勝利、そして第二戦を3月21日に国立競技場に強豪北朝鮮を迎えて対戦することになった。前回のスペイン大会予選でも敗れている相手だし、なにしろそれ以前には平壌の単独チームにも日本代表は歯が立たなかったという状況から見て、日本のファンだけでなく森監督にしても不安でいっぱいだったはずである。救いは北朝鮮がシンガポールとのアウェー戦を引き分け、またその内容が悪かったというのが唯一のプラス材料であつた。
 当時、この試合に関しての日本での関心度というのがどのくらいあったかと言うと、前日に会社で「明日、サッカーのワールドカップ予選の試合があるので見に行く」と言っても「なにそれ」という感じで、社会的な話題には全くなっていなかった。試合当日この関心度の低さを痛感させられることになる。
 さて当日は朝から雨、オートバイ用に購入した上着を着て出かける。国立競技場の横には在日の北朝鮮人のチャーターしたバスが鈴なり、バックスタンドから入ると、メイン側が北朝鮮の学生を中心としたブラスバンドを含む応援団に占領されている。当時は現在のように指定席というのも無かったように記憶しているが、そもそもホーム側が電光掲示板側寄りという規則もなく、メイン側が北朝鮮か、ならば当然バック・スタンド側だなと思い、青山門寄りの1F上段に座る。サッカー狂会の連中が多分ハーフラインから少し千駄ヶ谷寄りにいたと思う。メイン・スタンドは満員、バック・スタンドは4割位の入りか、今と違いゴール裏で見る人は殆どいない。
 水溜りのグラウンドで熱戦の火蓋がおとされる。応援は北朝鮮に圧倒され、まるでアウェーのようである。このグラウンドコンディションでは木村和司(日産)のテクニックは発揮しようもなく、北朝鮮のスピードに序盤から圧倒されるが、前半20分、西村(ヤンマー)の前方へのフィードしたボールが水溜りにストップ、これを原(三菱)が相手のタックルに冷静に反応し、ボールを浮かしてかわすとシュート、これが見事に決まる。当時、足は使うな、頭だけにしろといわれていた原選手の信じられないような見事なシュートであった。さて問題はこの後のことです、当然ゴールの瞬間に私は飛び上がって喜んだ、しかし周りの人たちは全然反応していない、まさかまさかと周りを観察してわかったのですが、私の周りの人たちは在日の北朝鮮の人たちだったというわけ。この日の観客25,000人のうち7割は北の人達だったという。試合はその後GK松井の攻守などでそのまま日本が逃げ切る。ここ数年の国内の試合で、これほどまでに緊張して、感動した試合はなかったという試合であったが、ワールドカップの予選だぜ!何故日本のファンは応援に来ないのだというわだかまりはいつまでも消えなかった。
 '86メキシコ・ワールドカップ予選アジア第4組サブグループB
 1985年3月21日 国立競技場 雨
  日本 1(1−0、0−0)0 北朝鮮