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五輪予選チケット
五輪予選チケット (日本vsベトナム他)
五輪予選特集 (サッカーマガジン'67-12月号)
日本vs韓国戦
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私自身が始めて経験するFIFAの公式大会の予選である。それはもう緊張しまくりましたよ。1967年の9月27日から10月10日まで、すべて会場は国立競技場。日本、韓国、台湾、レバノン、南ベトナム、フィリピンの6カ国総当りによるASIA GROUP1、1位チームだけが予選を突破できる。当時は韓国チームとの対戦がしばらく途絶えており、東京オリンピックの成績では日本がベスト8入りしたのに比べて、韓国はアラブ連合(現在のエジプト)に0-10の大敗をしていることや、日本チームはクラマー・コーチの指導の後も、欧州遠征などで力をつけていることなどで、やや日本が有利との見方があった。なおこの当時の台湾は香港のプロ選手がチームの主体、また南ベトナムは当時の東南アジアでは強豪で軍人主体のチームであつた。フィリピンは当時から格下、レバノンについては全く情報がなかった。
さて、チケットを見ると日本戦はもちろんだが、それ以外の試合にも行っている。よく見に行ったものだと今更ながら感心。それではこの予選で記憶に残った試合に軽くフラッシュバックしてみましょう。
●1967年 10月7日(土)
2 --- 0
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日本 韓国
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1 --- 3
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| ------------- |
3 --- 3
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雨の中、初めて見る日韓戦、ただただ国際試合の厳しさと迫力に酔った90分。「たいへんです。南門が破られそうです」と新聞が報じているように国立競技場は満員、私はバックスタンド前段で観戦していたのを昨日のことのように記憶している。試合は前半に松本(東洋工業・'05現在 鳥栖監督)がヘディングで落としたのを宮本輝(八幡製鉄・故人)がシュート、2点目は小城(東洋工業)のパスを杉山(三菱重工)が俊足を飛ばしてシュートし2−0、しかしこの時、杉山は韓国DFの猛烈なタックルを受け負傷してしまい、後半の苦戦に繋がってしまう。そして後半、6分、24分と韓国がゴールし同点に。しかしその1分後に釜本のシュートで再びリードするが、喜んで守備に就かないところを韓国にうまく攻められ再度同点にされてしまう。韓国の精神力の怖さに直面したのは、このときが初めてで、もう凄い連中だ、困ったな、まずいぞと思っているうちに42分、韓国選手のヘディングシュートがゴールに飛ぶ、「やられた」と観念したがバーをかすめてタイムアップ。
このシュートが決まっていれば日本の銅メダルもなかったわけです。これで日本と韓国が3勝1分けで同勝点、得失点差でフィリピン戦に15−0で勝っている日本が14リードしているが、韓国はフィリピン戦を残しているのでメキシコ五輪行きは微妙になった。
● 10月9日(月)
韓国 5(2-0、3-0)0 フィリピン
その韓国vsフィリピン戦、さすがにこの試合に行ってくれる友人はいなく、一人で殆ど観客のいないバックスタンド上段、青山門寄りで観戦していた。ハーフラインを超えて攻めずに守りを固めるフィリピン相手に前半30分まで韓国の得点はなく、得失点差で日本が断然有利となった。近くの席では日本代表選手が何人か観戦していたが、前方の席でフィリピン人親子が国旗を振って応援していたのがなぜか記憶に残っている。当時は外人を見かけるのは珍しかったからだろうか。
● 10月10日
日本 1(0-0、1-0)0 南ベトナム
当時の代表のユニフォームは白シャツ、紺のパンツ、白のストッキングであったが、この日はなぜか全部白。危うく死への装束になるところであつた。コマネズミのように動き回る南ベトナムに大苦戦。重苦しい雰囲気の中、後半5分、杉山が俊足を飛ばしGKともつれながら左足のシュートを決めた。試合後、選手団の宿泊している、国立競技場すぐ横の日本青年館の入り口で選手たちを待ち受け声をかけたが、これって日本代表の追っかけ第一号かもしれないなあ。
| 1.日本 | 4勝1分け(得失点差+22) |
| 2.韓国 | 4勝1分け(得失点差+12) |
| 3.南ベトナム | 2勝1分け2敗 |
| 4.レバノン | 2勝1分け2敗 |
| 5.台湾 | 1勝4敗 |
| 6.フィリピン | 0勝5敗 |
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