91年のキリン・チャレンジ・カップでは日本代表(この当時はまだ全日本という呼び方が一般であった)がユーゴの強豪、パルチザン・ベオグラードと対戦した。代表チームがクラブ・チームと対戦するのはこの頃がそろそろ最後のほうである。パルチザンの監督はオシムさんであり(といっても、知ったのはずっと後のこと)ミヤトビッチが攻撃の核、一方日本はカズ、永島の2トップ、横山ジャパンの赤いユニフォームが馴染めない。この試合は三ツ沢でおこなわれたが、駐車場が混んで試合開始に間に合わなかった。